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2013年10月21日 (月)

「恨みを忘れない文化」に対する誤解

韓国人が恨みを忘れないのは、情感に根差しているのではない事が分かっても、その由来を説明する説に出会わない。歴史的な解釈が出来ないからだ。韓国人の恨みは、それが長い歴史を積んだ正義なのだと考えれば、納得できる。

何時の時代にも、隣国、隣郷、隣人との紛争はある。武力や腕力を使う場合には、正義が必要になる。大義名分と言っても良いだろう。上位である国が方針を決めれば、民はそれに従う。価値観は、上意下達的な性格が強いからだ。

日本について言えば、天皇の任命という公の認識があった。明治維新では錦の御旗と言われた。長州の幕府に対する恨みは、関が原以後続いていたと言っても、日本人は動かない。それ故、大義名分に関する日本人の意識は、公的な性格を帯び、国家統治には冷静になりやすい。

西欧も様子が似ていた。教会やキリスト教が上位概念にあり、私怨で動くのは大儀がないと言う意識は、昔からあったのだろう。日本と状況が似ている。

中国にはその手の公が無い状況が、秦の国家統一以後続いた。大義名分を皇帝の絶対性に求め、それが不十分だと分かると、身分制を作り、序列秩序で固めた。秦以前の春秋戦国時代には、周王朝という大義名分と、諸侯の統治という制度があり、公権力と実力者という大儀があった。だから春秋戦国時代は、百花繚乱と言われる文化の隆盛を見たが、それ以後文化は劣化の一途を辿った。中国では覇者を評価しないのは、司馬遷の歴史観から始まる。

朝鮮は長らく中華の柵封国だったから、国王が大義名分を唱え、隣国と対峙する事が許されなかった。だからといって隣の民族や国と、紛争がなかったわけではない。争いを処理する為には、彼らの大義名分が必要になる。そのために使える一番有効なカードが、恨みだった。だから、日頃から恨みは蓄積しておかなければならない。できれば国民皆が蓄積している事が望ましい。

お上がその価値観で動けば、民衆が隣人と争う際にも、同じ価値観を使う。逆上して暴力を振るっても、統一的な正義が育ちにくい社会だから、昔の恨みを持ち出して大義名分にする。かくして朝鮮半島の正義は、恨みに基づくものになったと考えられる。正義感は人間の行動には不可欠だから、空気の様に当然と感じる感覚を根底にしなければならない。

日本では公徳心を教えることが、正義の要素だと考えている。公権力が長い間支配してきた賜物である。公権力とは天皇に任命された権力という意味で、根源の公は天皇だった。西欧のキリスト教も同様の働きをしたのだろう。この社会での正義は、現在我々が求める正義と同じである。

公権力がなかった中華では、教育の基本は序列意識の涵養だった。それが否定された現代の中国では、子孫に残すべき文化がない。それが中国の混乱の根本原因だと思われる。結局中華思想に戻りたくてうずうずしている。共産党幹部の腐敗に対する寛容さは、中華の伝統だろう。

韓国は、恨みと云う正義を否定できないどころか、大統領が率先して使っている。教育にも恨みの思想が充満している。反日は、「恨」文化を教育する先にある必然の世界になる。韓国では教育が普及しない方が良いとさえ見える。文化教育をすればするほど、この異常な世界へ押し込む作用が働くからだ。民族文化には、望ましいものと、おぞましいものがある。しかし教育は結局民族文化の継承でしかない。

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コメント

大変素晴らしい視点による論述である思います。少しづつご説を拝見させて頂きながら、もしも私にも何か語ることがあればまた改めて投稿をさせていただきたく思います。まずは貴殿の思考と感性、感覚の素晴らしさに歓喜しつつ感謝の想いをお伝えしたいとコメントを書かせて頂きました。次元の高い輝かしい御説をshareして頂いたことに心より感謝申し上げます。拝

投稿: mot7 | 2016年5月 2日 (月) 21時33分

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