« 中華経済の発展は世界の危機を生む | トップページ | 観念的な戦略で動く米中 »

2013年4月10日 (水)

経済学は未来を予測できない

 経済学が未来を予測できると考えるのは幻想だが、そう考える人が未だに多いのは、共産主義の残渣が未だに人々の心に投影しているからだろう。共産主義者は経済は予測可能だと主張し続けて来た。それが破綻した20世紀末に経済は学問ではないと言われ、大学の経済学部の競争率は低下したが、未だにその事実を認めない人が多い。経済学者に未来を予測させるマスコミ企画は未だに健在で、臆面も無くそこに出演する経済学者も跡を絶たない。

 経済学という学科が大学に存在するから、高尚な学問が研究されていると考えている人が居る。その疑問を考えたいが、経済学単独で考えると思考の迷路に入り込む。先進国経済は物の交換で発展しているのではないことは周知であるが、これは人間の創造性による商品の創出が重要な経済要素になっているという事である。人間の創造性が発揮される分野は色々あるが、経済学と並べて見て分かりやすいのは工学ではなかろうか。工学を考える時、自然科学を視野に置かねばならないが、その違いを明らかにする事が、経済学の位置付けを理解するのに役立つ。

自然科学は自然界に存在する法則を追求する。手段として工学的手法を使うとしても、目的はあくまでも自然界に存在する法則である。それに対して工学は、自然界に存在しない人工物を創造する事が目的で、自然科学とは対極的である。この科学と工学の関係を経済学に適用して検証すると、自然の法則と人工物の創造は、目的としては未分離の状況で存在できる筈がないのに、存在できると誤解されていることが分かる。現実の経済学では科学に相当する部分は非常に小さい。嘗ては原始的な交換経済での原則が直感的に議論されたが、原論というには程遠い。共産主義者はこの一見科学的な分野に固執して経済学の未来予測を唱えてきたから、現実の経済活動を説明できない。

科学者や工学者で、特定の専門分野についてではない包括的な発展方向を解説できる専門家は居ない。出来ないからだ。人々もそれを知っている。未来予測はSFの世界でしかない。しかし経済学者と称する一部の人は、未だに左翼思想の惰性として、将来を予測する人がいる。彼らが経済原則を新たに理論化するとか、人為的な新しい操作がもたらす変化法則を発見している様な痕跡は見えない。理解不能な理由付けで主張する大学教授や専門家がいるのは、それが出来ないことだということが分かっていないという点で、一般人以下のレベルに堕落しているという自覚がないからだろう。

経済学には有効な側面もある。理解を助けるために、科学と工学の関係について例示したい。治水に関する土木工学と科学の関係が分かりやすい。氾濫を繰り返す河を抱える平野の治水をモデルとして考えれば、有用な経済学はこの場合の工学の様に働く。アベノミクスはその様なものだと捉えられる。

 先ず、工事を始める環境を考える。他に有用な土地が豊富にあれば、敢えて大金を投じて工事をする必要はないが、隣接する平地の地価が高騰しているのであれば、挑戦する価値はある。先端の土木工学を使えば治水が可能なのか判断するためには、工学に関する知識が必要だ。判断する組織には土木工学に関する有能なブレーンが居なければならない。素人集団では徒に議論を繰り返し、出来ない言い訳に終始するだろう。嘗ての民主党政権はその様な集団だった様だ。環境への影響も重視される。オオサンショウウオが生息する川なら、自然保護を叫ぶ人が現れる。オオサンショウウオの研究者が先頭に立って開発反対運動を展開するかもしれない。彼らは科学者であるが、土木工学をサポートする科学者とは別種の人である。科学者を同列に扱ってはならないのと同様に、経済を活性化させる経済学者と、わが道を歩いているだけの経済学者も区別する必要がある。この研究者にオオサンショウウオの生態調査を依頼すれば、不必要に時間をかけ悲惨的データを積み上げる可能性が高い。担当する科学官僚もそれを後押しする可能性がある。経済問題での押し問答はもっと複雑怪奇に見える。

 土木工事で何が出来るか考える必要がある。宅地が欲しいのに農地を開発する手法を使ってしまうかもしれない。しかしそれは土木工学の責任ではない。土木工事が単に治水を目的とするだけならば、やり方は幾通りもあるかもしれない。使い方を間違えれば大金をドブに捨てる行為になる。このレベルを経済と対比すれば、流通貨幣の流れ制御だろうか。経済の活性化などという大それたテーマにはなり得ない。

宅地にするには交通インフラが要る。隣接地が通勤に不便なほど遠ければ、事業所用地も要るし、港湾の整備も必要かもしれない。徐々に開発しながら地域発展の方向を見定める必要がある。交通インフラも港湾も別の工学の出番で、徒に着手しては無駄が出るし、成果が出るとも限らない。経済の発展を阻害している要因は徐々に解きほぐす必要がある。個々の工学的手法と経済政策も同じで、遠い将来を見通す事は難しいが、逐次有効性を見出しながらプロセスを始める必要がある。何かしなければ何も生まれない。人工物を創造する工学は間違いなくそうである。

 商業や金融は経済の重要な要素だが、個々の企業の活動に委ねられている。企業活動の道筋を立てるのに、エコノミストと呼ぶ技能者が居るが、彼らはビジネスマンであって学者ではないとされている。工学分野でも研究者と呼ばれる人達が新しい技術の創出のために働いている。その数はエコノミストの数百倍も居る。工学研究者は専門分野で活動している。流通業や金融業で業態を開発するビジネスマンの、学際としての格が低いのは、科学をバックグラウンドに持たないからだと思われる。人間活動は創造的だから、ビジネス手法も創造的にならざるを得ず、創造される手法は無限の数存在し、唯一の真理を探究する科学とは全く相容れない。

 創造的世界ではあっても、根源的な部分では共通認識と共同目的が必要になる場合があり、そこには将来像のコンセンサスが必要になる。工学的将来像を議論すべきはエネルギー政策とか、全国的・国際的交通インフラ程度である。経済的な将来像を同列に考えれば、国債・金融政策、日銀の役割、規正・関税法などの要素分野だろう。それを使って実施される経済活動の帰趨は誰にも予測できない。出来ると言い張る方に無理がある。しかし何らかの決断と施策は必要不可欠だから、それはばら色の夢を宣伝しながら行なうことになる。要素分野の有効性を個別の技術レベルで議論するべきで、そのばら色の夢を批判しても仕方ないが、マスコミのコメンテータはそれを主張して視聴率を上げたいマスコミにおもねるから、世間の議論はややこしくなる。経済学が市場操作を目的とする学際であるなら、工学の様に学科レベルの専門性が求められ、専門領域での発言となる筈であるが、それも怪しい。

 工学分野でマスコミに登場して解説する人は稀であるのに、未発達な経済学分野関係の人が分かっている様な発言をするのは滑稽である。

« 中華経済の発展は世界の危機を生む | トップページ | 観念的な戦略で動く米中 »

論評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/534315/51176134

この記事へのトラックバック一覧です: 経済学は未来を予測できない:

« 中華経済の発展は世界の危機を生む | トップページ | 観念的な戦略で動く米中 »