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2012年9月 2日 (日)

中国のナショナリズム

 共産主義国家にナショナリズムがあるのは論理的におかしい。民族的伝統文化は民衆を束縛する悪しき旧弊として指弾し、最終的に全世界を共産主義国家として国境も民族も消滅する状態を理想とする思想なのだから。共産主義思想は破綻していると認めれば中国にもナショナリズムはあって良いことになるが、共産党政権下ではあってはならない思潮である。

中国の領土拡張政策が世界革命思想の発露であるなら論理的整合性はあるが、今日の世界感覚からは中国人以外は誰も受け入れない物騒な思想である。革命の為に暴力(戦争)を用いる事を推奨するのだから。中国で世界共産化革命思想と領土ナショナリズムが混同されているとしたら非常に危険なことになり、愛国無罪というスローガンにはこの混用が疑われる。共産主義を標榜する国が民族領土復活というスローガンを掲げる事には論理的な整合性がないが、手段と目的を使い分ける権謀術数の世界では何でもありかもしれない。今日の中国の倫理観は指導者ですらおかしい(中華帝国思想の残渣的)事を、先のレアアース輸出事件で露呈したから、国民に確たるものがなくとも不思議ではないかもしれない。

中国人の土俗的感覚で、国家の勢力が増せば領土の膨張が可能だとするのは、考え方としは理解できるが、中国は共産主義革命で中華帝国思想とその陋習的伝統文化とは決別したはずである。中国人愛国主義者が沖縄を、嘗ての冊封関係を根拠に中国の領土だと主張する事は、国家的矛盾を孕む事になる。得体の知れない国だと言われても仕方がない。その国が軍備拡張にひどく熱心であるから、隣国日本にとって穏やかなことではない。

しかし、幾らなんでも、ソ連の解体は承知している筈である。ソ連が一見帝国主義的に諸民族を支配した論拠は、共産主義が最終的に勝利し世界秩序を打ち立てるのだから、民族文化も民族自決も陋習を捨てて赤旗の下に大同団結するべきであるという事であったが、共産主義が崩壊すれば民族自決を認めなければならない。だからソ連が崩壊した後多数の民族国家が成立した。バルカン半島では民族自立の過程で悲惨な戦争になった。帝国主義的状況にある共産主義国中国で、民族主義を認めればどうなるのか共産党指導部は分かってはいるだろう。

世界統一認識なるものは存在しないのだから、世界は個別の民族文明の集合体である。中国は民族主義的な一国共産主義を掲げるのだろうか。その場合チベットなどの民族運動を抑圧する大義は共産主義で、本音は中華帝国ということになる。明らかな矛盾である。アラブの春が軌道に乗れば民族主義者の次の標的がチベットになる恐れは十分ある様に見える。ビルマの民主化は周辺事情を変えつつあるから、国際世論は中国のダブルスタンダードを攻撃するだろう。

健全なナショナリズムは個別の民族文明を育むためには必須の条件である。その為には国家的状況が周辺国と比較し優位である事が望ましい。劣位と認識すれば民族文化が崩壊する危機に立たされる。その時歴史認識という奥の手が登場する必用があると考える向きもあるが、台湾の例を見ればそれは必ずしも真実ではないと分かる。韓国人は台湾住民ほどに健全ではない様だ。中国では古代に関して歴史を捏造する必要はないが、近代の歴史に問題がある。誇るべき対外交渉が見当らず、条件が悪すぎる。極東の覇者として長く君臨したためにその崩壊過程が悲惨で、しかも再生プロセスが余りに場当たり的である。隣国日本が鮮やかに振舞ったので、その比較としての劣位が際立ち過ぎ、中国の立場は非常に複雑である。

中華帝国3千年の栄光は歴史でしかなく、伝統文化は彼ら自身が否定した。代わりに選んだ共産主義も世界中で否定され、自身もそれを認めざるを得なくなり止む無く資本主義に転換しようとしている。しかし共産党を標榜する政権が実施するのだから困難を伴う。資本主義には資本主義固有のモラルが必用だが、それを公知とすることができず、19世紀資本主義の様な放縦な自由競争と低賃金労働で低価格競争に邁進し、混乱を統制で抑え付けて凌ごうとしている。

2次大戦後国民党が政権を継続していればこの問題はなかった。台湾が繁栄している事はそれを示唆している。台湾には戦前の日本的教育が普及していた事も大きな要因だが、今日の南北朝鮮を見れば共産主義の弊害は一目瞭然である。

共産主義は西欧文明の申し子である。中国も日本とは異なる西欧化の道を選択した。共産化は手っ取り早い文明進化の手段だとする迷信が一部の知識人に蔓延した時代に誤った決断をしてしまった。四千年の継続性を誇る中国の伝統を捨てる事は容易ではない様に感じるが、明治維新の実績が意識され、共産主義化は思想導入から政権樹立まで僅か四半世紀の間に実現してしまった。中華文明が一部の貴族に独占され国民に浸透していなかった証拠であり、中国的革命思想の所産である様に見える。中国的革命とは徳がない皇帝の血筋を変える事であるが、単に皇帝を変える事と共産革命が同列に捉えられたのではなかろうか。その過程を辿ると、1921年上海で、僅か13人で第一回党大会が開催され、創立党員は57人しかいなかった。1931年江西省で臨時政府を樹立し、1945年から国共内戦となり、1949年に中華人民共和国が建国された。拙速の感は否めないが、当事者の焦りや改革に対する熱意は相当なものがあったと思われる。しかしこれが大失敗で、1978年に鄧小平が政権を握り、実質的に共産主義的社会改革を終らせ、資本主義化に舵を切らざるを得なかった。この様な事情を引き摺っているのだから、共産主義政権を中国の正統政権として国民に納得させるのは相当困難だと思わざるを得ない。歴史認識、即ち現状認識を相当捏造しなければならない事情は、韓国とは比較にならないほど深刻である。この状況を斟酌すれば中国の政権の方が韓国より理性的だと言える。

文明は必ずしも国の政治体制の優位を示すものではないから、民族に優位性があれば解決策はあるだろうという見解もあるかもしれない。それはどうだろうか。輸出産業は飢餓輸出と呼ばれる低賃金労働集約産業が主体であり、技術力で勝負する領域は殆ど無い。尊重すべき文化もあまり見当らない。宮廷や貴族の文化を大衆化することは文化の商品化の重要な要素だが、それらは否定し消滅させてしまった。国内市場は政策的障壁で保護しなければならず、知的財産を認めないコピー天国である。近代化の歴史が浅いからと言い訳しても、共産党の一党独裁は言論を弾圧し、知的発展が抑止されていると指摘されれば反論できない。日本も嘗て模倣の時代があったが、模倣から創造に変わるには世代交代が必要であった経験があり、独創的進化を達成するのは国民の意識を変えねばならない大きな変革なのだ。GDPで日本を抜き、世界第2位の経済大国になったから、今後十年で驚異的発展を遂げると期待する人がいるが、飢餓輸出国が貿易相手国より豊かになることは論理的にあり得ない。今年の経済停滞はその壁に突き中った予兆である可能性がある。

中国も一旦普通の国になる以外解決策がない様に見える。中国人もそれは分かりつつあるとは思う。その過程でナショナリズムは発現するだろうが、民族の優位性をいかに確立するかが重要な問題である。嘗ての中華帝国は極東文化の精華であったから、周辺民族は皆中国を敬いその文明のおこぼれをありがたく頂戴した。しかしその甘美な幻想は捨てねばならない筈である。今までの様な発展途上国段階なら3千年の歴史を懐に抱いているだけで、周辺国は温かい眼差しで迎えるだろう。しかし真の経済大国を目指すのなら実力で勝負するしかない。発展途上国ではなくなった段階で周辺国の対応は変わる。世界の中でどの様なポジションを取る積もりなのかが問われ、責任ある行動が求められる。それに対する答えはまだ出されていない段階で、中国の領土は嘗てのすべての朝貢国に及ぶと主張し中華帝国の存在を意識している。未来志向的観点からは3千年の歴史など何の意味も無い事には思い至らない様だ。俺の親父は昔は大金持ちだったと言い触らす、老朽家屋に住む貧乏人と同じだということに気付かねばならない。

中華人民共和国は強欲に嘗ての周辺民族の居住地の殆どを自国の領土に編入してしまっている。台湾は実質中国であるとすれば、未編入は朝鮮半島と越南(ベトナム)と琉球しか残っていない。その他の東南アジアはインド文化圏であって中華圏ではない。境界のチベットが揺れている。帰属意思は中国文明への評価と表裏一体で、チベット人は現代中国を評価しないから反抗するのだと思う。誰が見ても近代的文明国の要件を満たしていないし、周辺民族の今後の発展も期待できない。有体に言えば、夢も希望もない。嘗ての圧政から開放してあげたという中国側の言い分は的外れなのだ。最近韓国の大統領が同じ文脈で日本を批判したが、定性的に同じ事を言っても定量感に雲泥の差がある。例えて言えば、全財産1万円の人が百万円の人に私は貧乏だから云々と言うのと、資産100億円の人が1000億円の人に私は貴方に比べると貧乏人だと言うのは違うということである。諸々の場面で定性的言辞に惑わされない認識が求められる。

中国は日本をモデルに国家と民族を建設するのが一番の近道だろうが、それは共産党の間違いを認めなければならないという問題の上に、韓国人同様の民族優位性に瑕疵があるという感覚を誘起する恐れがある。この文脈から南京虐殺を解釈すれば中国にとって譲れない一線になる。嘘を言い続けるのは、政権を取れば歴史は捏造できるという中華文明の伝統を引き摺っているからであるが、苦しい中の葛藤でもある。中国人なら虐殺したかもしれないが日本人はしなかったということは、文明の彼我の差を見せ付け、面子を大事にする民族主義者には譲れない一線になる。中国人にとって歴史は現政権の正当性を主張する材料だから、政権を支持する限り正しいとしなければならないし、政権を支持しない選択肢は許されない。これは司馬遷以来の伝統である。

隣国日本人として、中国人が民族的プライドを持って国家建設する事は望ましい事だと考える必用がある。それなくして建設される国家は治安、制度、民情に欠陥を有し、日本のためにもならない。健全なナショナリズムは望みこそすれ厭うべきものではない。しかし彼らのナショナリズムが健全に発達する保証はない。と言うより、共産党政権下では健全に発展する条件を備えていないと言わざるを得ない。

日本人は朝鮮半島の人々に寛容を示し、却って関係を損ねようとしている。今回の一連の事件で日本人は韓国人が嫌いになるだろう。それを感じた韓国人はナショナリズムに危機感を抱き、更に色々捏造しながら反日感情を高めるだろう。しかし一旦事情を知った日本人も引き下がるわけにはいかない。売り言葉に買い言葉で激昂するわけではなく、大人の対応として引く事ができないからである。眼をつむっていた不正が世間に公知となれば、今までの曖昧な態度を続ける事はできない。それを続ければ今度は日本人の人格が疑われる。

中国人が韓国人より賢く、有利な歴史的条件を持っているにしても、彼らは共産中国を建国し歴史的財産を自分の手でぶち壊してしまった。共産主義は民族文化を否定する。文化大革命はその文脈の中で実施された筈で、更に先鋭化されたものがカンボジアのポルポトによる民族内大虐殺事件だった。先ず中国は歴史認識を再構築しなければならないが、革命思想、民族解放思想に染まっていては出来ない。中国は変わるしかない様に見える。

共産主義政権から民族主義政権へ交替するのは一つの解決策であるが、難しそうに見える。幾つかの政権に分割されながら民族主義を発展させるべきだとの指摘は既に為されているが、中国の伝統では統一王朝の存在が平和と安定のシンボルだったのだから、それも難しそうだ。西欧的共産主義と西欧的ナショナリズムを同時に放棄し、嘗ての中華帝国を復活させる道筋もある。帝国主義を悪の権化の様に考える人がいるが、必ずしもそうではない。最も文明的に進歩した民族が周囲の民族を統治する形態で、周囲の民族が十分文明化されていない場合とか、国家を形成するには十分な人口を擁していない場合には、先進的で統治技術を持つ民族が統治する事は必ずしも悪では無い。如何なる民族も自決する事が最良であるとは限らない。民族間の利害対立を民主主義的手法で調整するのは至難の業であるから、帝国主義と民主主義は共存できない。西欧でも民主主義は民族国家単位で運営している。今の政権はそれを目指している様にも見える。

中華帝国を復活させると何が問題になるのだろうか。先ずそれは進歩であって後退ではないと国民が納得する必要がある。当然民主主義至上主義の欧米は非難し、国民は動揺する。それを抑えるためには成功事例を確保しなければならない。手っ取り早いのは領土拡張的侵略戦争での勝利である。東シナ海、南シナ海は波立っている。北朝鮮はダークホースである。元々李氏朝鮮は冊封国だったから、琉球の後裔である沖縄を中国の一部だと主張すれば、同様に朝鮮に対しても主張していることになる。北朝鮮がそれを恐れ、核保有にこだわり、ロシアへ接近したがるという文脈もある。そもそも共産主義国家が民族別に分割されている状況は思想的に不自然なのだが、敢えてそうしているのは北朝鮮の希望で、歴史的事情と、終戦直後は日本だった北朝鮮は経済基盤が豊かだったからだろう。それで日本に接近したがるという可能性もある。しかし中国にとって、極貧化した北朝鮮を今更併合しても目的の達成という観点では得るものは少ない。輝かしい成功を夢想すれば、日本を傘下に収めたり併合したりする事は十分過ぎる程のイベントになる。しかし日本人としては中華帝国の存続の為の犠牲になるのはご免被りたい。

人口の多さを武器に知的文明を築くという選択肢も理論的には存在する。しかし先進文明を育むには自由が必用である。共産党政権下ではコピー文明しか発展出来ないだろう。しかしそうではないと証明しなければならない。そのための素材は軍需産業になりがちである。これは資本主義の優位性が薄い部分で、嘗てのソ連も、国内産業が劣悪でもこの分野では米国に太刀打ちできた。中国が核開発、ミサイル開発、宇宙開発に邁進しているのはその文脈で捉えられる。しかしこれは危険な道で、日本が隣国として安全に存在し続けるためには類似の兵器を持たねばならなくなる。そうしたところで中国はソ連の失敗は十分に承知している筈であると考える向きもあるだろう。そんな人は追い詰められた人々の行動を知らないのではないかと思う。ともかく明日を生き繋ぐ事が先決で、その明日が100年続くことを期待するものだ。

最も平和裏に事を収めるのは、日本を広義の中華文明圏とし、日本の制度を中国に移植する事かもしれない。多分中国はそれも研究しているだろう。中華文明の圏外とは言え、漢字を使う国であり理屈は何とでも立つ。東のフロンティアから中華文明の改革運動が巻き起ったとして、日本的要素を積極的に取り入れる手段もある。沿岸部の一部を再解放区として日本化する発想もあり得る。これに日本は反対しないだろうが、欧米が猛反発するに違いない。グローバル世界に唯一の価値観を提供しているのは西欧的思考方法とその産物である民主主義だと確信しているから。日本人の大半は孔子や老子の思想など知らないから、欧米の非難の前に腰砕けになるだろう。そうなれば中国人は面子を潰される。

八方塞りの中で中国人のナショナリズムは蠢いている。共産主義はナショナリズムを認めない筈であるし、中華帝国もナショナリズムは敬遠する筈であるから、政権も混乱せざるを得ない。これは単に思想の問題ではない。最悪の結果として旧ユーゴスラビアで何が起きたのかを想起する必要がある。各民族の代表が皆共産主義者であった時代、民族の融和は思想的国是であるから、紛争は起こりえない。反共主義者は力と恐怖政治で押さえつけたと主張するかもしれないが、共産主義はそれほど愚かしい思想でもない。しかし共産主義政権が倒れ、各民族の首謀者が民族主義者になれば、事情は変わる。中国共産政権にとってナショナリズムは危険思想なのだ。

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