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2010年8月20日 (金)

韓国人の歴史認識

 韓国人は事ある毎に「歴史認識」と叫ぶが、日本人と韓国人では相互に「歴史」という言葉の意味が異なっている事に余り注意を払わない。日本人は歴史を学んで物事の必然性や今日の社会の有り様の起源を学ぼうとするのに対し、韓国人は自国民のアイデンティティーを求める手段と考え、日本帝国と韓国民の葛藤が歴史の本質の一面であるかの様に考えている。従って韓国人は自分なりの歴史認識に詳しく、日本人の、歴史の本質ではないと考える日韓関係に関する知識の希薄さに憤る。戦後の民主主義教育を受けた現代日本人にとって、戦前の日本は既に歴史的存在でしかないという事も理解しようとしない。近代以前の中国の歴史観は勝者の認識と論功行賞の様であるが、韓国人は歴史を同様に考え、科学としては位置付けていないのであろう。だから韓国の歴史は出来事の編年的記述が中心になるのではないだろうか。日本人は歴史を時代変遷の解釈と看做す傾向があり、その起源は多分江戸時代以前に遡ると思う。若しかしたら平家物語の冒頭の言葉に既にその歴史観があるのかもしれない。
今日的近代国家の市民感覚としては、日本人が正常であって、韓国人が異常であると判定されると思う。しかし何故か異常な韓国人の声が大きい。それは日本人の後ろめたさと韓国人への同情心に韓国人が乗っているからである。自由市民的感覚が発達していない一部の国では言わねば損とする感覚が強い様に見える。それを言う自分が逆に評価されるという事には思い至らないからである。韓国人の発言もその類にも見える。韓国人が言う日帝支配も、同様な立場で受けた台湾の人にはさほど忌まわしい記憶ではない様で、直後の国民党政権より上等であったとの意見も多いらしい。韓国の場合、直前の王朝支配より悪化したのかどうか確かではないが、直前の近代化運動の実現しなかったスローガンと比較して日帝支配は意に沿わなかった事は確実であろう。しかしスローガンは歴史ではない。
韓国人は民族のアイデンティティーを確立することに執念を燃やしているらしい。その旗の最上部に「優れた韓国民族」という誤った認識がある様だが、皆それを指摘することに躊躇している様に見える。しかしこれはナチスドイツの「優秀なアーリア民族」認識と殆ど同じ類型である。力の無い少数民族の自己主張だから世界に及ぼす被害は少ないが、北朝鮮の様に虚勢を張るまでになると、迷惑民族と言わざるを得ない。大国中国の武力侵攻の脅威を常に受けつつ今日まで民族の団結を保ってきた歴史があるから、政治的したたかさは日本よりも遥かに上位であろう事は想像に難くない。しかし「被害者」でありながら「誇り高い民族」とする矛盾を抱えながら強い民族的アイデンティティーを創造しようとするのは欲張りである。その自己矛盾の中であがきながら虚言を重ねて行くから、面と向かった人はその攻撃的恫喝に落ち着いて反論が出来ない。相手の考え方を頭ごなしに否定し、自分の曖昧な価値観に立脚した土俵でしか話をさせない。今更変えられない過去の出来事で繰り返し相手を恐喝し、対等な対話関係を拒絶し、相手を支配しようとする姿は、何か境界性人格障害の実施するモラルハラスメントの民族版の様に見える。モラルハラスメントの概念が形成されつつある今日、その類似性について研究してみる価値がりそうであるという事には、韓国人は気付いていないであろう。
日本人の歴史認識は今日的常識では正常で、明治時代の日本人の認識も正常であったと考えている日本人のマジョリティーは、韓国人が暴圧的に「正しい歴史認識は韓国式歴史認識だ」と叫んでも動じない。日本人は韓国人が近代的な歴史認識に立って欲しいと思っている。そうなれば日本人ももっと胸襟を開くであろうし、個々の日本人も心から過去の韓国の痛みに同情するであろう。しかし、境界性人格障害者に対しては毅然とした態度を取らねばならないとするのは、今日精神医療関係者の常識であり、曖昧な妥協はしてはならないのである。障害者との関係性の劣化を防ぐためだけではなく、障害者本人のためにならないとされている。但し人格障害者を取り巻く人の一部には共依存体質と呼ぶ、好ましくない人格の人が生じやすいと言われている。この人は人格障害者の無定見で矛盾する要求を聞き入れ共に混乱し、不必要に格闘しながら共に自滅的人生を選択するのであるが、本人にはその自覚が無く、あくまでもその人の為に色々してあげることに自己満足的人生を費やす人である。それが人格障害者と共依存者2人だけの閉じた世界であれば良いのだが、共依存者が人格障害者以上に世間を騒がせる事がしばしばあることが、心療医療の認識である様に、日韓関係にも共依存体質の日本人が多数関わっている事が問題をややこしくしている。
ところで、日本人の朝鮮半島に関する歴史認識とは何かを、韓国人の大声の前で明らかにする人が少ない現状がある。歴史にIFは無い事を承知で敢えて言えば、19世紀後半~20世紀前半に日本が干渉し併合しなければ、朝鮮半島は最終的には満州と共にロシア領になり、第一次世界大戦後はソビエト朝鮮自治区となり、今日の北朝鮮の様な国家になっていただろう。日本が共産中国と国交を再開しても、朝鮮半島との本格的交易はベルリンの壁崩壊まで待たねばならなかっただろうが、朝鮮半島の工業化は今日のロシア沿海州程度だろうから、交易品は、鉱山資源と海産物・農産物中心であろう。一方の日本は朝鮮半島とは無関係に欧米との交易で工業化を実現していただろう。
更に古い時代について事実を推察すれば、古代には韓国人が中国の文物を日本に紹介した事は事実だと思う。日本を未開の新天地と考えて移民した人も多かったと思う。大中華帝国からの遠近の序列からして当然の事であって何の不思議もない。当時の百済人と今日の韓国人の民族関係は明確ではないが、百済人には日本人は感謝もしよう。江戸時代までその様な関係の積み重ねが続いたのなら、朝鮮半島は日本の兄貴分に当り、明治以後日本は兄貴を変え、兄弟は別の道を歩み始めたことになる。しかし事実は違う様だ。
鎌倉時代に日本は直接親元の中国と交易を始め宋銭を使い始めた。当初は中国商人が活躍した様だが、倭寇の出現は交易の主体が日本側に移行しつつあった事を示す。タイにできた日本人街は、明の海禁政策の下で間接交易を実施するための日本人の出張所で、日本の交易範囲は東南アジアまで拡張された事が示される。個別の文化要素はまちまちで、鉄砲などは日本の方が早く国産化し輸出もしたが、磁器の製造技術は豊臣秀吉の朝鮮出兵によって漸く日本に伝播した。江戸時代日本人が朝鮮通信使から漢詩の手ほどきを受けたという逸話もあるが、韓国と日本の漢文需要の差があったからで、既に日本と朝鮮は文化的に異系統になっていた。漢字漢文しか使わない朝鮮と仮名文化が発達した日本の違いだろう。鎖国していたとは言え日本では江戸時代に商工業はそれなりに発達し、韓国を凌いだ。
そんな状況で明治になり、日本が先に覚醒し欧米化=近代化したが、それは遅れて覚醒した韓国人のコンプレックスとして許せないのだろうか。李朝は相変わらずの大樹である清国やロシアに接近しようとして失敗し、日本が韓国を併合した。今考えればその方がベターであったがしかし、韓国人のプライドはその事実を許さないということか。そんな推測は邪推かもしれないが、それならそうと堂々と論説すればいい。しかし韓国人はしないだろう。良心的な個人でそうしたいと思う韓国人は多いと思いたい。しかし歴史認識は韓国にとって国家事業だから、検証する学際はいないから事実としては同じ結果になる。歴史認識が宗教になれば、異端は排斥される。韓国にとって歴史認識は韓国人が気付かないほどに牢固とした信念となった国家宗教という側面も持つのではないだろうか。元来中華文化圏は儒教以来神のいない宗教観なので、思想と宗教の区分が不明確である。我々も気をつけねばならない。

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